女40歳、OL辞めます

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長年勤めた会社を辞めることにした。社会人になってこれまで4社渡り歩いてきた。

「辞める」決心がつくまでにえらく長い時間を費やした。生活のことを考えると仕事を辞めるのは怖かったのだ。でも、ある日半分勢いで「辞める」宣言をした私のOL生活を振り返る。

 

OL生活の始まり

私は18歳のときに、大阪のとある外国語専門学校へ入るために山口県から大都会へひょこひょこやってた。

大阪の人たちはテレビで見るまんま、人情があって、話しやすくて、優しい。イメージしていた通りの街。引っ込み思案の私は意外とすんなりとこの街に溶け込んだ。

2年の学生生活を終えて、山口県へは戻らず、当たり前のように大阪で就職。

ここから私のOL生活は始まった。

 

就職遍歴

就職その1:建設会社:勤続5年半

そこでは今でも交友のある大切な人たちと出会った。

その人たちとは、おバカなことをした。就業時間に、備品を買いに行くと言ってユニクロに寄って普通に買い物したり。社長の留守を狙ってブリーチをして、台所の流しで頭を洗ったり。夕方の暇な時間にマニキュアを塗ったり。終業後、更衣室でキャッツ並みのメイクをして写真撮って遊んだり。もちろん、ちゃんと仕事はしていたが。

ある日興味をもったCAD。面白そう。

学校へ通い、就職活動をし、転職することに。

 

就職その2:土木の設計会社:勤続2年半

この会社では、毎日CADを使って色々な図面を書いた。どんどんスキルは身についていった。

そんな時、何か新たに勉強がしたくなって探してみると、「福祉住環境コーディネーター」という資格があるということを知った。

高齢者や障がい者の方々が、自立して生活できる住環境を提案するアドバイザーで、 医療・福祉・建築について体系的に幅広い知識を身に付けて、各種の専門家と連携をとりながら適切な住宅改修プランを提示するという役割を持っている。

なぜか私はこれにすごく興味を抱いた。参考書や問題集などを買い、独学で勉強し始めた。夏の暑い中、クーラーを点けるのを惜しんで汗を流しながら畳の上で机に向かっていたのをよく覚えている。

そのかいあってか、3級、2級ともに合格。2級はほんとギリギリだったけど、「資格」を取ったのは初めてで、すごくうれしかった。

「辞めます」と退職届を出し、設計会社を去った。

 

就職その3:ディープな街のディープな会社:勤続6か月

お年寄りが住むマンションなどの廊下や階段などに、「ここには手すりが必要やね」とか、「こスロープつけた方がええんちゃうか」とか、ケアマネージャーさんたちとお仕事することにもとてもやりがいを感じていた。

途中から、営業の仕事もしてくれと言われて病院巡りもした。口下手な私には「営業」という業種には抵抗を感じたが、病院のちょっとした裏側も見れて意外とおもしろかった。

けれどある日、役所に何かの手続きへ行くと、私の福祉住環境コーディネーターの資格でこの申請をするには建設会社に勤めていないと無理やでと言われ、ショックを受けた。リサーチ不足・・・。

今から建設会社に転職するほどの気力はなかった。今は契約社員で給料は安かったし、営業となるとやっぱり口の立たない私には辛くて、辞めることにした。

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最初に就職した建設会社の男性が、就職斡旋業者を紹介してくれて、その方が勧めてくれた。ここが、大阪でのOL生活最後の会社になる。

 

就職その4:大阪生活で最後の会社:勤続11年半

大阪市内のヘンピな場所にある会社に11年も居たということは、居心地がよかったんだろうと思う。

ここは今までの会社と違って、電話もバンバン鳴るわ、受付にガンガン人が来るわ、入庫入力だなんだとPCと向き合う毎日。今までと畑の違う職場ということもあって、最初の1週間で辞めたいと思ったが、友人に「とりあえず2か月やってみ」と励まされ、あっという間に11年。

辛いことが多かった。最初の頃は仕事の悩みでよく泣いていた。そのたびに周りの人たちに元気をもらい、励ましあってここまで来れた。とても感謝している。

 

自分の気持ちをごまかし生きるのが辛くなってきた

しかし私の担当の仕事容量が多く、ここ数年少し重荷に感じるようになってきた。昔みたいにいっぺんに沢山のことを処理することに楽しさを感じなくなってきた。

2016年に入ってから益々忙しくなり、精神的にも辛くなってきた。そのころハマりだした沖縄へ何度も行ってその都度癒されたが、それでも間に合わなくなってきた。仕事を辞めたいという気持ちが強くなってきた。辞めて、沖縄へ行こうかなと思い始めた。

だが、今の生活を捨てて全く環境の違う場所へ引っ越すことはとても勇気のいることだ。なんのために生きているんだろうと思いながら、なかなか前へ踏み出せないまま、月日だけが流れた。

 

不安な気持ちで苦しかったときに出会った言葉

そんなある日、ネットで「沖縄   移住  理由」で検索したら、あるブログで「不安な気持ちはあるけど、そこには決断が大事で、その決断するときの判断基準は、どちらの方が面白くなりそうかということ」と書かれていた。ハッとなった。すぐさま母に電話をした。「私、面白い方を選ぶ。」人生を変えたかった。

 

「決断」した日

それでもなかなか「仕事を辞める」という決断はできず、数日が経ったが、ある日、PCに向かっていたら、仕事に対するプレッシャー、忙しさ、辞めたいのに辞めれないもどかしさ、周りに対するイライラ、そんな制御できない自分の心に対するイライラ、色んな気持ちが込み上げてきた。涙が出そうになって2階へ上がり、電話で上司を呼び出して泣きながら「辞めたい、年内で辞めさせてほしい」と言った。

「決断」というより、「勢い」に近いかもしれない。だけど、私にはその「勢い」が必要だったのかもしれない。それからはだいぶ気持ちが楽になった。

晴れて、辞めることになった。引き継ぐ相手が見つからない状態のまま最終日が近づく。そんなある日、「ほい、お土産」と言って現場の上司がお守りをくれた。トルコに古くから伝わるお守りみたいだ。悪いものをうけとめてくれ、最後には身代わりになって壊れるという。なんか涙が出そうになった。

 

大切な仲間とのお別れの日

相変わらずの忙しさで、最後の日も残業し、忘年会には遅刻して行った。そんな私に所長は「最後まで残業して。おまえらしいな」と笑って言った。

忘年会では送別会も兼ねて、簡単だが挨拶をした。本当に「ありがとう」の気持ちしかない。特に、同じ部署の人たちには気分屋な私に付き合ってくれて、イヤな思いもさせたに違いない。私のメンタルがもっと強ければなぁ・・・とずっと申し訳なく思っていた。

最後に、プレゼントを頂いた。同じ部署の女の子がセレクトしてくれた。沖縄のビーチでも使えるようにと、可愛いポーチとバスタオル、それと綺麗なプリザーブドフラワー。その子が隣に座ってきて挨拶をかわしていたら、涙が出てきた。全然先輩らしいことしてあげれなかった、ゴメンねと言うと、そんなことないですよ、すごい寂しいですと答えてくれて、二人で泣き出した。「やっと泣いたぞ」と周りの男子ははやし立てた。

二次会へ行き、最後にハグをして皆と別れた。二度と会えないわけではないけれど、11年間のほとんどを過ごした会社の仲間にこれからめったに会えなくなる、アホな話で笑ったりできなくなるって考えるととても寂しい。最初は、「早く辞めて沖縄へ行きたい」という気持ちが強かったのだが、最後の日が近くなってくると徐々に寂しく感じていた。一人暮らしの私にとっては家族みたいなもんだったから。寂しくないわけないのだ。

 

こうして私の大阪でのOL生活は幕を閉じた。辞めたことが正解だったのかは分からない。ただ、後悔はしないよう、2017年は一日一日を大切に生きていきたいと思う。

またいつか、大阪の仲間に最高の笑顔で会えるように。

p1140211

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